2024/03/13

ビリに拍車がかかるよ

そう言えば、かつて、裏にモップが付いているスリッパを履いてフィギュアスケートの選手のごとく床をスイスイ滑り、掃除していた。
あのスリッパは、じつに優れモノだ。
が、今だと、床に接する面積が小さいと感じる加拿大留學移民
一気に、がががーっと掃除出来るほうが楽だ。

と、話はどんどん逸れている。
つまり、過去を振り返ると、意を決して不得意分野を克服しようと頑張っても、最初は自分に鞭打って頑張るが、だんだん熱意より苦しみのほうが増してくる、ということ。
チャレンジしないより、したほうが良い、後悔は残らないのだろうけれど、段々、歳を取ってくると、結果が見えているので挑戦するエネルギーが不足する。
初めからわかっていることなら、もういいか、と。

病気や怪我で身体が動かなくなった人が、リハビリで回復に向けて努力をする香港專才申請條件
元の日常生活を取り戻したい。
スポーツ選手や俳優さんなど、テレビで辛いリハビリの様子を紹介されているのを見るが、目標、目的があると、必死で辛さを克服しようとリハビリに拍車がかかるようだ。
一般人、特にわたしのようなサボり、しかもこれといった義務もない人間は、自分を甘やかし放題。
いずれ、自分のことも自分で出来なくなって、まわりのお世話になる。
が、それを少しでも回避するため、苦手なウォーキングをするのは、まだちょっと人生ステージ的に早い?
いや、早いことはないのか?

姑は、入っていた老人施設の廊下で毎日、手すりに掴まりながら、一生懸命、自主的に歩行トレーニングをしていた。
自分に課していた。
頭が下がる。
が、脳が衰えるに従って、自分の身体を動かせなくなった。
身体の筋肉は十分備わっているが、脳が指令しない。
末端装置は充実しているが、発令システムが作動しない。
そう考えると、今のわたしの、ウォーキング拒否は、発令システム制御に自分でブレーキをかけているのか?
単に、ゾロゾロ皆んなで付いていくだけの、娯楽性のない無言の行進に抵抗感があるだけか?
自分で計画できない、地図が読めない人が、誰かがプランしてくれた道で後を付いて歩くのは、楽だ。
が、、、楽なのだが、わたしとしては、楽しさがない。
なぜなんだろう?

自由時間の無さ、食事タイムの寒さ、味気なさ、そのあたりの、わたしのワガママ欲求が満たされない。
街で目に入ったソフトクリームを買ってスイーツタイムなど、許されるわけもない。
ウォーキングが嫌いなわけではなく、ゾロゾロ、灰色の行進が嫌いなのだ。
それなら自分でオリジナルで計画を立て、自発的にウォーキングすればよいが、しない。
イベントや旅先で歩くぐらい。
何かをする目的があり、その目的を成し遂げるために、歩く。
歩くことだけを目的とする、その会が、わたしのワガママ趣味に合わない香港投資移民條件
目的と、手段。
歩くのはあくまでも手段。

だがしかし、常日頃から歩いて(身体を鍛えるとまではいかないにしても)体調を整えるのは大事だ。
先日、旅行に一緒に行った人が、わたしより若いのに、ほんの2時間ぐらい館内を歩くだけなのにバテていてびっくりした。
平素、歩かないと、いきなり歩くことになると、身体が慣れていないようだ。

とかなんとか。
延々と、文字を割いているが、そろそろ〆なければ。
とりあえず、来月(来年)、行く直前に決めよう。
と、またまた先送り。

と、ここで気づいたことがある。
わたしの趣味は「書くこと」のようだ。
文字書き散らしのおしゃべり人間。
Posted by whiteso at 10:04│Comments(0)
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