2024/05/27
されているかのようだが
海外の親戚の住む地に滞在10日、良いなあ、、、羨ましい、、、。
1週間では短い、2週間では間延び。
ぴったりの長さだと思う。
わたしは、もう随分昔、2週間を3回、自由滞在した超声刀。
20歳の時は1ヶ月滞在。
遠い遠い過去の話。
その思い出を糧に、少しずつ貯めた体験貯金を切り崩すように、毎日を生きている。
なんていうと、まるで寝たきりか、入院中か、監獄に収監されているかのようだが。
ではあるものの、自分にとって素晴らしい記憶はいつまでも自分のエネルギー源になるということ。
チャージして繰り返し使える蓄電池みたいなものか。
時折、太陽からの自然エネルギーでチャージしなければならないが。
太陽は?
曇りの日も土砂降りの日も、自然災害と向き合う日もある。
太陽が照り輝く間に、思いっきり存分に光を浴びて満喫して楽しむ大腸鏡檢查。
あとは、余波、チャージしたものや、日々の営みから安らぎを得る。
保存食で、しのぐ。
とはいうものの、あと一回は、ぜひ思い出づくりの旅に行きたい。
話は変わるが、
「女性が描く理想の老後とは?」という内容のブログ記事を読んだ。
まだ30代や40代、50代の女性が想像する老後と、60代、70代が想像する老後、さらに、80代、90代が直面する現実の老後とは、少し温度が違う。
共通するものは、「心身の健康」と「お金」のようだ。
かつて何十年か前は、仲間や友人、家族という「人」も必須とされていた。(今もかも知れないが)
お一人様が増え、家族に代るものを必要とされるが、お互いに距離感を保つ。
もたれかからない間柄となると、それはそれで自制し、結構大変である。
京都・東山、ねねさんの終焉の場である「圓徳院」を訪れると、尼さんになってこんなところで、しっとり、ひっそり世を去るのは理想だと感じた。
超超超高級スペシャルVIP待遇老人ホーム。
豊臣秀吉の奥さんぐらいにならないと、例え平民であっても、無理だろう。
いや、大谷翔平の妻なら可能かも?
だが、わたしが大谷翔平の妻になること自体が不可能である。
残念ながら。
仮に、企業創始者の家族ぐらいなら、可能かも知れないが、これまた残念ながら空想、いや、妄想の世界になる。
理想は、自立出来なくなるまではギリギリまで自宅で通いのヘルパーさんに補助してもらい、補助は限界となったら、普通の老人ホームに入る。
自宅療養だとか、家族には無理は言わないつもり。
自分を犠牲にしてまで、身を粉にして、それだけの手間暇かけて家族に愛情を注いで来なかったツケとして、見返りは期待しない、というか、期待したらバチが当たる。
お互いに、じつに、あっさり。
TV(Eテレ)で自宅での看取り、美しい最期を紹介されていたが、余命数ヶ月の家族だった縮時攝影。
それなら、(看るのが)わたしなら全力で取り組むかも知れない。
(看られるのが)わたしなら、どうだろう?
自分に悔いが残るかどうか、である。
ねねさんが、圓徳院に移り亡くなるまで(58〜77歳)は、今のわたしと重なる年齢。
身体が動くうちは、夢いっぱいの幻想を抱ける、いろんな光景、風景を見て歩きたい。
1週間では短い、2週間では間延び。
ぴったりの長さだと思う。
わたしは、もう随分昔、2週間を3回、自由滞在した超声刀。
20歳の時は1ヶ月滞在。
遠い遠い過去の話。
その思い出を糧に、少しずつ貯めた体験貯金を切り崩すように、毎日を生きている。
なんていうと、まるで寝たきりか、入院中か、監獄に収監されているかのようだが。
ではあるものの、自分にとって素晴らしい記憶はいつまでも自分のエネルギー源になるということ。
チャージして繰り返し使える蓄電池みたいなものか。
時折、太陽からの自然エネルギーでチャージしなければならないが。
太陽は?
曇りの日も土砂降りの日も、自然災害と向き合う日もある。
太陽が照り輝く間に、思いっきり存分に光を浴びて満喫して楽しむ大腸鏡檢查。
あとは、余波、チャージしたものや、日々の営みから安らぎを得る。
保存食で、しのぐ。
とはいうものの、あと一回は、ぜひ思い出づくりの旅に行きたい。
話は変わるが、
「女性が描く理想の老後とは?」という内容のブログ記事を読んだ。
まだ30代や40代、50代の女性が想像する老後と、60代、70代が想像する老後、さらに、80代、90代が直面する現実の老後とは、少し温度が違う。
共通するものは、「心身の健康」と「お金」のようだ。
かつて何十年か前は、仲間や友人、家族という「人」も必須とされていた。(今もかも知れないが)
お一人様が増え、家族に代るものを必要とされるが、お互いに距離感を保つ。
もたれかからない間柄となると、それはそれで自制し、結構大変である。
京都・東山、ねねさんの終焉の場である「圓徳院」を訪れると、尼さんになってこんなところで、しっとり、ひっそり世を去るのは理想だと感じた。
超超超高級スペシャルVIP待遇老人ホーム。
豊臣秀吉の奥さんぐらいにならないと、例え平民であっても、無理だろう。
いや、大谷翔平の妻なら可能かも?
だが、わたしが大谷翔平の妻になること自体が不可能である。
残念ながら。
仮に、企業創始者の家族ぐらいなら、可能かも知れないが、これまた残念ながら空想、いや、妄想の世界になる。
理想は、自立出来なくなるまではギリギリまで自宅で通いのヘルパーさんに補助してもらい、補助は限界となったら、普通の老人ホームに入る。
自宅療養だとか、家族には無理は言わないつもり。
自分を犠牲にしてまで、身を粉にして、それだけの手間暇かけて家族に愛情を注いで来なかったツケとして、見返りは期待しない、というか、期待したらバチが当たる。
お互いに、じつに、あっさり。
TV(Eテレ)で自宅での看取り、美しい最期を紹介されていたが、余命数ヶ月の家族だった縮時攝影。
それなら、(看るのが)わたしなら全力で取り組むかも知れない。
(看られるのが)わたしなら、どうだろう?
自分に悔いが残るかどうか、である。
ねねさんが、圓徳院に移り亡くなるまで(58〜77歳)は、今のわたしと重なる年齢。
身体が動くうちは、夢いっぱいの幻想を抱ける、いろんな光景、風景を見て歩きたい。
Posted by whiteso at
16:49
│Comments(0)
2024/05/19
ることはあまりない
ずーーっと前、本当にずっと前、35年近く前に、予定を入れない日がいかに退屈か、という経験をして、(日頃、よほど忙しくして休養が必要な場合は別)前々から予定を作らなければいけないことを思い知った。
空っぽの自分にとことん向き合い、仕事をし始めたので、時間もこころも空白は埋まった緊急牙科。
さて、この度はどうしよう?
いつも、次の予定が決まった上で卒業するから、バトンタッチ、引き継ぎ期間は前と後が重複するのだが。
仕事の場合でも、転職して次に行くところが決まって退職するならともかく、何も決まっていない状態で仕事を辞めることはあまりないだろう。
とても不安だ、、、。
時間を持て余すとなると、虚しい時を過ごすことになる。
なんでもいいから、時間を潰すことを見つけなければ。
何も準備しないで(本来の意味で)卒業してしまうのは、学生時代以来だ磁力共振中心。
あの時は半年間、行く道を見失い、生ける屍になっていた。
2回目の卒業にあたる、35年前は子育てに一区切りした時。
末子が幼稚園に行き始め、それまでゼロだった自分の時間が、少し持てるようになった。
ぽかっと開く空白時間は、2回目となる。
卒業と入学の間。
これまで、1回目は学業終了から結婚まで、2回目は子育て一段落から就業まで、
今回は3回目となるわけだが、人生ステップから行くと、次は終活までの間か。
が、終活に手を付ける気がない。
腰が重すぎて一歩も終活方向に足も気も向かない。
もともと、小学生の時から宿題はギリギリまで溜めるタイプ。
普通は、ここで黄金の老後突入となるのだろうけれど、わたしは老後を20年前から先取りしてしまったため、老後が間延びしている。
そして健康で順調なため、心労なくエネルギーが減らず、溢れ余っているにもかかわらず、出口が渋滞している。
黄金の老後、第2弾。
だが、第1弾と第2弾の間の、休憩ではなく、不安な待ち時間の到来となる。
まだ第1弾は終了していないのにこの度、突然の休止となり、強制卒業となった。
たまたま時期が3月だったので、わたしは卒業にしたが、内情的には留年である。
単位が足りず本来なら卒業できない。資格、免状がない中途半端な状態。
でも、学校は卒業。さあ、どうする?
わずかな灯油しか残っていないのに、降りしきる雪の日々をじっと過ごすかんじ乳房腫瘤?
もうすぐ4月。
快活な明るい季節に、時間と身を持て余すだろうことが予測できる。
どうにかなるか?
いや、どうにもならない。
健康寿命はまだまだ大丈夫な黄金の老後なのに、退職した直後の、何もすることのない人のようになってしまいそう。
季節が背中を押してくれるか?
外因に依存しようなんて、甘い。
空の巣症候群ならず、老後早取り・生きがい喪失症候群。
実に贅沢なことを言っている。
この機会に、母に会いに行ったり、日頃のルーティンからは想定できない、何か全く違うことをしようか。
空っぽの自分にとことん向き合い、仕事をし始めたので、時間もこころも空白は埋まった緊急牙科。
さて、この度はどうしよう?
いつも、次の予定が決まった上で卒業するから、バトンタッチ、引き継ぎ期間は前と後が重複するのだが。
仕事の場合でも、転職して次に行くところが決まって退職するならともかく、何も決まっていない状態で仕事を辞めることはあまりないだろう。
とても不安だ、、、。
時間を持て余すとなると、虚しい時を過ごすことになる。
なんでもいいから、時間を潰すことを見つけなければ。
何も準備しないで(本来の意味で)卒業してしまうのは、学生時代以来だ磁力共振中心。
あの時は半年間、行く道を見失い、生ける屍になっていた。
2回目の卒業にあたる、35年前は子育てに一区切りした時。
末子が幼稚園に行き始め、それまでゼロだった自分の時間が、少し持てるようになった。
ぽかっと開く空白時間は、2回目となる。
卒業と入学の間。
これまで、1回目は学業終了から結婚まで、2回目は子育て一段落から就業まで、
今回は3回目となるわけだが、人生ステップから行くと、次は終活までの間か。
が、終活に手を付ける気がない。
腰が重すぎて一歩も終活方向に足も気も向かない。
もともと、小学生の時から宿題はギリギリまで溜めるタイプ。
普通は、ここで黄金の老後突入となるのだろうけれど、わたしは老後を20年前から先取りしてしまったため、老後が間延びしている。
そして健康で順調なため、心労なくエネルギーが減らず、溢れ余っているにもかかわらず、出口が渋滞している。
黄金の老後、第2弾。
だが、第1弾と第2弾の間の、休憩ではなく、不安な待ち時間の到来となる。
まだ第1弾は終了していないのにこの度、突然の休止となり、強制卒業となった。
たまたま時期が3月だったので、わたしは卒業にしたが、内情的には留年である。
単位が足りず本来なら卒業できない。資格、免状がない中途半端な状態。
でも、学校は卒業。さあ、どうする?
わずかな灯油しか残っていないのに、降りしきる雪の日々をじっと過ごすかんじ乳房腫瘤?
もうすぐ4月。
快活な明るい季節に、時間と身を持て余すだろうことが予測できる。
どうにかなるか?
いや、どうにもならない。
健康寿命はまだまだ大丈夫な黄金の老後なのに、退職した直後の、何もすることのない人のようになってしまいそう。
季節が背中を押してくれるか?
外因に依存しようなんて、甘い。
空の巣症候群ならず、老後早取り・生きがい喪失症候群。
実に贅沢なことを言っている。
この機会に、母に会いに行ったり、日頃のルーティンからは想定できない、何か全く違うことをしようか。
Posted by whiteso at
10:34
│Comments(0)
2024/05/07
知る人ぞ知る神社
しかし、よく見るとなんと埃をかぶっていることか。
35年分の埃は、お社に降り積もる、まるで粉雪のよう。
風情があるなあ、、、などと感慨に耽っている場合ではない。
横たわったお社を横目に中から取り出した、神々しい物体をガン見する。
覆われている布は、よくお寺の中で見かけるような朱色に神々しい金糸の入ったもの植牙。
その布をすぽっと外すと、中に何やら固いものが入っていた。
カミサマの名前が書かれた木札。(白木の位牌のように自立するスタンドタイプ)
社は二つあるので、カミサマも二つ。
別々のカミサマ。
二つとも知っている。
一つは夫の実家の地に古来からある氏神様。
もう一つは、40年以上前に一度姑たちと訪れたことがある、結構行きにくい地にある、知る人ぞ知る神社の神様。
なるほど、いかにも姑チョイスである。
自分が信仰している神様をセットアップ・パッキングしている一次性餐具。
神様たちは、お社に詰め込まれたまま、うちの古い前の家から新築の家へ、建て替え中は仮住まいの家へ、あっちに行ったりこっちに来たりと、待遇も足元も悪い中、連れて来られたわけだ。
しかも、さっき、初めて、それこそ、本当に初めて、対面した。
顔はなく、名前だけだが。
ようこそ、お疲れ様。
アラジンのランプから出てくる魔神みたいに急に偉そうぶるわけではないが、長い年月、大人しく誰からも知られることもなく鎮座していた。
なんだか、申し訳ない。
粉雪のごとく埃を積もらせてしまったが、なんでも雑菌にまみれるほうが逞しく育つ。
うちのカミサマも過酷な環境で逞しく生き残っていただく。
あまり手厚い、おもてなしは、しない。
カミサマにさえ、自然派を貫くなんて、カミサマもあきれていることだろう。
何も、特別に素晴らしいことを望み祈るわけではない。
ただじっとそこにいてくれるだけでよい。
ご利益も祈りやお祀りレベルに応じてであれば、ほぼご利益はない。
「今日も無事に生きてます」で、よい。
それぐらいは、望ませて欲しい。
それにしても、こんな話ばかり書いていたら、確実に蝶ブログ閲覧数はゼロになる日が来る。
記事はここで終われば良いものを蛇足は続く。
カミサマも苦笑していることだろう。
いや、カミサマは俗世界とは関係ないので、
カミサマの出番はそんなところに出てきてはいけない。
生きるか死ぬかの瀬戸際のみ、顔を出してくれたらそれでよい。
生命保険みたいなものか。
カミサマの名前を、生命保険会社の保険証書に置き変える?
不謹慎極まりない。
絶対にバチが当たる。
しかし、まだ、カミサマ以外にもホトケサマも、お世話している身無反。
姑が信心深いと何かと大変だ。
(とは言え、ほぼ何もしていない)
35年分の埃は、お社に降り積もる、まるで粉雪のよう。
風情があるなあ、、、などと感慨に耽っている場合ではない。
横たわったお社を横目に中から取り出した、神々しい物体をガン見する。
覆われている布は、よくお寺の中で見かけるような朱色に神々しい金糸の入ったもの植牙。
その布をすぽっと外すと、中に何やら固いものが入っていた。
カミサマの名前が書かれた木札。(白木の位牌のように自立するスタンドタイプ)
社は二つあるので、カミサマも二つ。
別々のカミサマ。
二つとも知っている。
一つは夫の実家の地に古来からある氏神様。
もう一つは、40年以上前に一度姑たちと訪れたことがある、結構行きにくい地にある、知る人ぞ知る神社の神様。
なるほど、いかにも姑チョイスである。
自分が信仰している神様をセットアップ・パッキングしている一次性餐具。
神様たちは、お社に詰め込まれたまま、うちの古い前の家から新築の家へ、建て替え中は仮住まいの家へ、あっちに行ったりこっちに来たりと、待遇も足元も悪い中、連れて来られたわけだ。
しかも、さっき、初めて、それこそ、本当に初めて、対面した。
顔はなく、名前だけだが。
ようこそ、お疲れ様。
アラジンのランプから出てくる魔神みたいに急に偉そうぶるわけではないが、長い年月、大人しく誰からも知られることもなく鎮座していた。
なんだか、申し訳ない。
粉雪のごとく埃を積もらせてしまったが、なんでも雑菌にまみれるほうが逞しく育つ。
うちのカミサマも過酷な環境で逞しく生き残っていただく。
あまり手厚い、おもてなしは、しない。
カミサマにさえ、自然派を貫くなんて、カミサマもあきれていることだろう。
何も、特別に素晴らしいことを望み祈るわけではない。
ただじっとそこにいてくれるだけでよい。
ご利益も祈りやお祀りレベルに応じてであれば、ほぼご利益はない。
「今日も無事に生きてます」で、よい。
それぐらいは、望ませて欲しい。
それにしても、こんな話ばかり書いていたら、確実に蝶ブログ閲覧数はゼロになる日が来る。
記事はここで終われば良いものを蛇足は続く。
カミサマも苦笑していることだろう。
いや、カミサマは俗世界とは関係ないので、
カミサマの出番はそんなところに出てきてはいけない。
生きるか死ぬかの瀬戸際のみ、顔を出してくれたらそれでよい。
生命保険みたいなものか。
カミサマの名前を、生命保険会社の保険証書に置き変える?
不謹慎極まりない。
絶対にバチが当たる。
しかし、まだ、カミサマ以外にもホトケサマも、お世話している身無反。
姑が信心深いと何かと大変だ。
(とは言え、ほぼ何もしていない)
Posted by whiteso at
11:24
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