2025/04/11

から言っていたなあ

と、前置きはさておき。
今日は、お日様ぽかぽか、青空、晴天の日曜日。
何の囚われることもなく、目を覚まして時計を見ると午前9時を過ぎていた全身脫毛
あらま、けっこう、寝たのね、、、
と、遅めの起床。
階下に降りると、リビングのドアは開け放たれ、明るい日差しが入ると共に、夫の姿がない。
あれ?
居ないなあ、、、
と、まずは居ないことへの認識。確認。
次。
理由を考える。
まだ寝てるのかな?
珍しい、、、9時まで寝ていることなど、今まで一度もない。
ん?
ひょっとして、、、
脳裏をよぎるのは、悪い予感。
まさか、、、
いや、あり得ないことなど、ないDermes
心配しつつ、そおっと寝室を覗く。
おや?
居ない。
ベッドは、もぬけの空。
なんで?

首を傾げながら、階下に降りる。 
外に何か取りに行っているのか?
玄関の靴を仕舞いながら、2秒、考える。
あ、、、
ゴルフか。
そう言えば、ずいぶん前から言っていたなあ、と。
そうだった、そうだった、昨日も言っていた。
オーマイガー。
脳から、するりと抜け落ちているが、まあバタバタ悲惨な展開より、答え合わせも出来て、やれやれ。
と同時に、わあ、やったあ、、、今日は1人でのんびり、まったりできる、と小躍り紮肚優惠
と言っても、いつもと同じだが。
曇り後、快晴のパターン。

で、コーヒーから始まり、いつものコース。
ルーティン。 
お昼に、先一昨日、娘一家の夕食に出した親子丼の具に、卵を加えて、再生親子丼を食べた。
他にもたくさん作ったので、その残り、昨日は肉じゃが、一昨日は豚汁を、1人でたっぷり食べた。
先程の親子丼は、とても美味しかった。
こんなに美味しいもの、どこの店に出向けばいいのか、どこに発注すればいいのか、どの人に作ってもらえばいいのか、、、と、次の心配、手配をする必要がない。
自分で作っている。
レシピも適当。自分が好きな味にする。
しかも、材料は、鶏肉と玉ねぎ、卵のみ。
あとは醤油、みりん、砂糖。
コーヒーを入れるぐらいの気楽さで作れる。
ご飯は、多めに炊いて冷凍した白米を解凍。
  
Posted by whiteso at 15:54Comments(0)

2025/04/07

おかあさんになってい

夫はわたしのことを「おかあさん」と呼ぶ。
は?
わたしには、こんな歳上の息子はいませんが。
子供にとって、おかあさんは母親である。
夫にとって、おかあさんはわたしではなく、姑(故人)であるPhD Funding Hong Kong
いったい、いつまでわたしは、おかあさんなのだ?

娘たちには、わたしは、おかあさんと呼ばれる。
わたしは娘たちの母親なので、ツジツマが合う。
死ぬまで、いや、死んでからも、わたしは、生物的な遺伝子関係は、子供たちのおかあさんである。
にもかかわらず、、、
なんでわたしが、夫に「おかあさん」と呼ばれなければならない?

よく街で、そこのおにいさん、おねえさん、という声を聞く。
当然、姉妹でも、兄弟でもないのはわかった上での、若い人に対する呼びかけ総称のようなもの。
おとうさん、ご主人、おかあさん、奥さん、と、お店などではお客さんに対して呼ばれているのを聞く泰晤士世界大學排名
ある程度の年齢になると、そう呼ばれる。
おじいちゃん、おばあちゃん、という声もあるが、おじいさん、おばあさん、とは街ではあまり呼ばれないように感じる。

小さい子供に呼びかける時は、ぼく、わたし、なんていう声もある。
名前がわからないので、年齢、性別から見た呼びかけの一般的名称だ。

ちなみに、わたしは、大手チェーンのダ◯コク薬局の老薬剤師さんに、「奥さん」と呼ばれる。
難はないが、独身の可能性もあるのに。

話を戻す。
一般的な場合は置いておいて、
自分の家庭で自分の夫に、おかあさんと呼ばれるのに違和感がある。
「違和感」という、意識的にトゲがない表現にしている。
本音としては「不快感」である。
もうとっくに、おかあさんの役割は終わっている。
どうしても家庭のポジションを表現したいなら、おばあさん、である。
だが、夫に、おばあさん、と言われるとその瞬間、わたしのアタマから湯気が出る。
誰が、おばあさんやねん!!
あきらかに因縁、イチャモン、筋の通らないクレームである。
じゃあ、なんと呼べばよい?

最近、おかあさん、と呼ばれた後の、わたしの不機嫌ぶりに恐れをなして、夫はその場だけ別の呼び方にするが、時間が経つとまた、おかあさんになっている。
まったく学習能力がない。
その度に不機嫌、不愉快、嫌な気持ちになる副學士學費資助

おかあさん、が、なぜ、そんなに嫌なのか。
時代が変わり、役割も変わり、状況も気持ちも変わっているのに、全く厭わず、考え方を更新しない姿勢にムカつく。
変わらないのは貴方だけ。
普遍のものには、不動だと信じて疑わないのだろうけれど。
貴方だけがそう思っている。
貴方以外は、どんどん変わっている。

良いものが変わらないのはウェルカムだし、試行錯誤を重ねて改善されるのは結構なことである。
だが、時代や周りに対応出来ないカチンコチン石アタマだったりすると、柔軟性の無さにヘキヘキする。
家族は、石アタマを石として扱う。

石は石として、それはそれで存在する権利がある。
存在価値を否定することは、いかなる人に対しても出来ない。
  
Posted by whiteso at 15:59Comments(0)

2025/04/03

ごから枠を出ない

「今年は、恵方は、西南西。
ばあちゃん、ネットでわざわざ頑張って調べたんやで」
と、一人しか聞いていない聴講生の1番上孫Y(小6男児)に説明した。
すると、即座に、「恵方って、誰が決めたの?」と質問が返って来た孕婦按摩
「誰って、、、ネットの答えよ。間違ってないはず」

360度あって、恵方の方向が順々に変わっていって、、、もごもご、、、と、わたしは中途半端な知識を披露しようとしたが、もごもごから枠を出ない。

1番上孫は、(その説明はいいから)「なぜ恵方を向いて拝むの?」と、根本的なことを聞いてくる。

わたしは、もごもご、もごもご、、、

なんでもいいから、恵方を向いて拝めばいいんだ!とは、やはり、言えない自分がいた骨質疏鬆補充
熱心な信仰者である、姑やその上の姑たちは、なぜ?なんて、なかった。
理屈抜きに拝めば救われる、という信仰。
お経は、なぜ読むの?
意味なんかない、読めばいいのだ!
実はお経には意味がたっぷり詰まっているが。

「末端の信者は、そんなことは考えずにひたすら決まっていることを敢行するのみ」

わたしたちのやりとりを聞いていて、そう側から言ったのは、長女(小6孫の母親)だった。
彼女は仏教は学生時代、授業で習い、詳しい。

そう言えば、かつてお盆の時に、姑に読経しろと言われ、口答えしたことを思い出した。
嫁であろうが、家の宗教は強制できない。
宗教によっては、厳しい戒律や改宗を余儀なくされるものもあるが。

孫は真っ白なフラットなアタマで疑問に思ったことをストレートに投げかけた。
信じるものは救われる、、、と、説明すれば良かったか。
「困った時の神頼み」が実情だけど。
だが、自分自身が真面目に信じていないから、頑張って調べたりして、知識を押し付けようとする。

小さい頃に毎週、教会に通っていても、いずれ行かなくなったり、反発したりすることはあるBB無便便
(ちなみに、わたしは、教会は、大人になってから海外旅行でしか訪れたことがない)
  
Posted by whiteso at 15:52Comments(0)