2024/06/27
やりたいことが見え始め
ミニ鬱が続いている。
正確には、「続いていた」。
何もする気が起きないのに、強い外圧(長きに渡りプッシュされること)により決断、実行の期日を迎え、無理やり渋々、嫌々、行った。
また別件で長い期間、返事を求められているものもあり、本当に嫌で気が進まないのに、決行した公司禮品。
どうにか動いたことにより、苦痛が和らいだ。
出口が塞がれているのに、後ろから突き上げられる苦しみから、一時的に解放された。
だが、解決したわけではない。
動かなかったものが、ようやく動き出しただけだ。
渋っていた、避けたかった事柄を無理やり行ったところ、肩の荷が降りた気楽さのせいか、その大嫌いなことをキッカケとして派生する別の事柄に、興味を抱いた。
本筋ではなく、枝葉のほうに、光を見た。
だが、これは、動かなければ見えないものだ。
自分と向き合い、悩みを解決するため、ヒントを得るために、訪れていた他のブログがあったが、もう卒業かも知れない。
停滞を切り抜けて、次の段階に移り始めている。
机上の幸福論を煮詰めていたが、具体的な内容を見つけ始めた抖音代理商。
大袈裟に書いた。
早い話、林住期をどう過ごそうか、暇に任せ退屈を通り過ぎて虚無感に襲われていたが、やりたいことが見え始めた。
それだけだ。
精神論はもういい。実践へ。
実際に行った人々の行動を参考にして、自分の計画を立てたい。
まだ立案とまではいかない。
もやもやした霧が少し晴れた森の中にいるよう。
その一つに、旅がある。
バックパッカーのご夫婦のブログが連日、ブログ村エッセイにランクインされていて、楽しみにしている。
このバックパッカーの旅とは真逆の、まさに対極にある、豪華客船の長旅をする人がいる。
対比すると、興味深い。
自分は何を求めているか、潜在意識を探る参考になる。
まだわたしには、体力と気力がある。
だから、枯れるには生乾き。
想いと現実がうまくマッチせず、軋んでいたかも知れない。
やる気をチャージするのに、わたしは人の何倍も時間がかかる。
ガソリンがどこかから漏れているのに、頑張ってエンジンを蒸していたuche呃人。
どこから漏れているのか探すのに時間がかかる。
漏れが発見できたなら、漏れている箇所を修復しなければならない。
今はまだ、そんな段階だ。
好奇心を満たしつつ、運動を兼ね、緊張もして、一期一会を愉しみたい、、、そういう目標が出来た。
その場限りの偶然を楽しみたい。
(偶然と言いつつ、じつは偶然ではなく、それまでの長い道のりがある)
そういうアンテナを張って情報を集め、準備していきたい。
時刻表や設計図だけで楽しめるオタクになるかも知れないけれど、まあそれもよい。
楽しみの方向性が絞れたということは、それだけでも、わたしには嬉しいことだ。
次々、細胞が動き始める。
さらに不思議なことに、新しい未知のものが向こうからやって来ることもあり、それに乗っかる勢いが大事だが、乗り間違えないように注意しなければならない。
正確には、「続いていた」。
何もする気が起きないのに、強い外圧(長きに渡りプッシュされること)により決断、実行の期日を迎え、無理やり渋々、嫌々、行った。
また別件で長い期間、返事を求められているものもあり、本当に嫌で気が進まないのに、決行した公司禮品。
どうにか動いたことにより、苦痛が和らいだ。
出口が塞がれているのに、後ろから突き上げられる苦しみから、一時的に解放された。
だが、解決したわけではない。
動かなかったものが、ようやく動き出しただけだ。
渋っていた、避けたかった事柄を無理やり行ったところ、肩の荷が降りた気楽さのせいか、その大嫌いなことをキッカケとして派生する別の事柄に、興味を抱いた。
本筋ではなく、枝葉のほうに、光を見た。
だが、これは、動かなければ見えないものだ。
自分と向き合い、悩みを解決するため、ヒントを得るために、訪れていた他のブログがあったが、もう卒業かも知れない。
停滞を切り抜けて、次の段階に移り始めている。
机上の幸福論を煮詰めていたが、具体的な内容を見つけ始めた抖音代理商。
大袈裟に書いた。
早い話、林住期をどう過ごそうか、暇に任せ退屈を通り過ぎて虚無感に襲われていたが、やりたいことが見え始めた。
それだけだ。
精神論はもういい。実践へ。
実際に行った人々の行動を参考にして、自分の計画を立てたい。
まだ立案とまではいかない。
もやもやした霧が少し晴れた森の中にいるよう。
その一つに、旅がある。
バックパッカーのご夫婦のブログが連日、ブログ村エッセイにランクインされていて、楽しみにしている。
このバックパッカーの旅とは真逆の、まさに対極にある、豪華客船の長旅をする人がいる。
対比すると、興味深い。
自分は何を求めているか、潜在意識を探る参考になる。
まだわたしには、体力と気力がある。
だから、枯れるには生乾き。
想いと現実がうまくマッチせず、軋んでいたかも知れない。
やる気をチャージするのに、わたしは人の何倍も時間がかかる。
ガソリンがどこかから漏れているのに、頑張ってエンジンを蒸していたuche呃人。
どこから漏れているのか探すのに時間がかかる。
漏れが発見できたなら、漏れている箇所を修復しなければならない。
今はまだ、そんな段階だ。
好奇心を満たしつつ、運動を兼ね、緊張もして、一期一会を愉しみたい、、、そういう目標が出来た。
その場限りの偶然を楽しみたい。
(偶然と言いつつ、じつは偶然ではなく、それまでの長い道のりがある)
そういうアンテナを張って情報を集め、準備していきたい。
時刻表や設計図だけで楽しめるオタクになるかも知れないけれど、まあそれもよい。
楽しみの方向性が絞れたということは、それだけでも、わたしには嬉しいことだ。
次々、細胞が動き始める。
さらに不思議なことに、新しい未知のものが向こうからやって来ることもあり、それに乗っかる勢いが大事だが、乗り間違えないように注意しなければならない。
Posted by whiteso at
15:54
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2024/06/21
ず押しつぶされる人もい
男性を立てる女性など、今時シーラカンスかも知れない。
自分に力がないから、奥の手を使っているのかも知れない肌肉流失補充。
わたしは、超超超、時代遅れの女性である。
たまたま生まれつきの性質なのか、環境のせいなのか、はたまた生きる知恵なのか。
いずれにしても、時代錯誤感があるのは否めない。
男性というものは立ててこそ力を発揮する。
が、踏みつけられても力を発揮する。
どっちみち、力を発揮する。
と同様に、女性も褒められて伸びる。
けなされても、悔しさをバネに頑張る。
どちらにしても、頑張る。
みんな頑張っている。
それにしても、、、優しそうで柔軟性のありそうな男性でも、必ず立てなければならない、、、と、わたしは思っている光子嫩肤。
なぜなら、立てると、力以上の力が出てくるように思う。
(逆に、ジェンダー価値観を押し付けられ、役割期待感に耐え切れず押しつぶされる人もいるが)
男性が女性に対して優越感を感じている部分が、 DNAにまだ残存しているように感じる。
(今の若い人はさておき)
歴史の流れから見ると、女性解放運動、ウーマンリブからまだ50年ぐらいしか経っていない。
女性の参政権が認められたのは昭和21年だということを今、調べてみて知って驚いた。
明治時代後半ぐらいかとタカを括っていた。
そんな最近だったとは、、、!!!
男女雇用機会均等法は1987年施行、、、というと、まだ35年しか経っていない。
意外や意外、ほんの少し前のことだったのか。
そうなると、男女平等、女性の自立、社会での活躍は、長い歴史の時間の中では最後ラストのちょっと期間。
原始時代から生きている人間の DNAは、そうそう短時間に急激に書き換えられない。
しかし、直近の出来事で全てがオセロゲームのようにひっくり返ることもある。
ちなみに、高齢少子化の波は、もはや波などというものではなく現実である抖音廣告。
中国やインドなどの人口が多い国は、強い。
マンパワーは有力な資源である。
円安で日本買いが進み、不安を抱いている。
バブル時、外国の土地やビルを買い漁っていた日本が、、、変われば変わるものだ。
日本は先進国だと安心している人に警告。
発展途上国ではなく、衰退途上国だと表現する人もいる。
自分に力がないから、奥の手を使っているのかも知れない肌肉流失補充。
わたしは、超超超、時代遅れの女性である。
たまたま生まれつきの性質なのか、環境のせいなのか、はたまた生きる知恵なのか。
いずれにしても、時代錯誤感があるのは否めない。
男性というものは立ててこそ力を発揮する。
が、踏みつけられても力を発揮する。
どっちみち、力を発揮する。
と同様に、女性も褒められて伸びる。
けなされても、悔しさをバネに頑張る。
どちらにしても、頑張る。
みんな頑張っている。
それにしても、、、優しそうで柔軟性のありそうな男性でも、必ず立てなければならない、、、と、わたしは思っている光子嫩肤。
なぜなら、立てると、力以上の力が出てくるように思う。
(逆に、ジェンダー価値観を押し付けられ、役割期待感に耐え切れず押しつぶされる人もいるが)
男性が女性に対して優越感を感じている部分が、 DNAにまだ残存しているように感じる。
(今の若い人はさておき)
歴史の流れから見ると、女性解放運動、ウーマンリブからまだ50年ぐらいしか経っていない。
女性の参政権が認められたのは昭和21年だということを今、調べてみて知って驚いた。
明治時代後半ぐらいかとタカを括っていた。
そんな最近だったとは、、、!!!
男女雇用機会均等法は1987年施行、、、というと、まだ35年しか経っていない。
意外や意外、ほんの少し前のことだったのか。
そうなると、男女平等、女性の自立、社会での活躍は、長い歴史の時間の中では最後ラストのちょっと期間。
原始時代から生きている人間の DNAは、そうそう短時間に急激に書き換えられない。
しかし、直近の出来事で全てがオセロゲームのようにひっくり返ることもある。
ちなみに、高齢少子化の波は、もはや波などというものではなく現実である抖音廣告。
中国やインドなどの人口が多い国は、強い。
マンパワーは有力な資源である。
円安で日本買いが進み、不安を抱いている。
バブル時、外国の土地やビルを買い漁っていた日本が、、、変われば変わるものだ。
日本は先進国だと安心している人に警告。
発展途上国ではなく、衰退途上国だと表現する人もいる。
Posted by whiteso at
16:25
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2024/06/17
ラ売りしていることはあるが
人によっては、家で居ても何もすることもない、と、退屈を紛らわせるために押し出されるかのように外に出ることがある。
すると、意外に楽しい「種」に出会うことがある。
あくまでも「種」であって、華々しい実は成っていないthermage 效果。
種を見過ごしたら、何もない、無目的の単なる虚しい暇つぶしになる。
種をキャッチすると、そこから芽が出る。
だが、種は埋まっているので、外からは見えない。
何の種かもわからない。
水をやって、しばらく待ってみないと。
育てることをしないと枯れてしまう。
最初から既製品の商品のように、出来上がったものが用意されているわけではない。
一から作るのはイメージが湧かない場合、パーツやキットをバラ売りしていることはあるが。
高い理想や目標は掲げず、誰でも出来ることなどと高をくくらず、とりあえず外に出て、歩いてみよう去暗瘡印。
発見がある。種がある。
なければ、見つかるまで探せ、とは言わない。
休む、休憩する。
また外に出たくなるまで待つ。
発見が無いことが発見かも。
それも気づきの一つかも。
それはそれで、真っ白、純粋な脳ミソなのでは?
伸びしろ100%?
ちなみに、ウォーキングの会でスマホでカシャカシャ写真を撮っていたら、、、
参加者の女性に、「どんな風(テイスト)に撮るんですか?
わたしは、わからなくて」と問われた。
ものすごく不思議な質問に、驚いた。
なぜなら、公式でもないプライベートな遊びの写真なんか、自分が好きなように撮ればよいのだから。
コンテストに応募するわけでもないし、写真展を開くわけでもないし、誰かに見せるわけでもない。
(ブログに使う写真もあるが)
自分のために撮る。自分が楽しいように。
なので、どういう風に撮るのかなんて、思いもしない奇問だった。
そう言えば、幼稚園の時、クラスメイトの園児がいつも、わたしの絵の真似をしていた。
これまた、いつもわたしと同じ絵を描くのが不思議だったが、彼女は後にピアノ方面に進んだ。
ゼロから、無から、思いつかないのだろう。
まあ色々な人がいる。
また、ある人に、品質に対する感想を述べると、なぜそんな感想が湧き出て来るのか、不思議がられた。
経験がないため、思いもよらないようだ。
無意識に接していることに対しては、何の感想もないと思われるStudy in Hong Kong。
考えたことも意識したこともない世界。
各人それぞれの歩みが違うと、視点が違う。
視点が違う人同士が出会った場合、何の接点もなく素通りするか、あるいは、考えたこともない感性に触れて驚くか。
未知のものを興味深く捉えるか、はたまた、今更、どうでもよく、接したくもなく避けるか。
色々なケースがあり、その後の展開が変わる。
すると、意外に楽しい「種」に出会うことがある。
あくまでも「種」であって、華々しい実は成っていないthermage 效果。
種を見過ごしたら、何もない、無目的の単なる虚しい暇つぶしになる。
種をキャッチすると、そこから芽が出る。
だが、種は埋まっているので、外からは見えない。
何の種かもわからない。
水をやって、しばらく待ってみないと。
育てることをしないと枯れてしまう。
最初から既製品の商品のように、出来上がったものが用意されているわけではない。
一から作るのはイメージが湧かない場合、パーツやキットをバラ売りしていることはあるが。
高い理想や目標は掲げず、誰でも出来ることなどと高をくくらず、とりあえず外に出て、歩いてみよう去暗瘡印。
発見がある。種がある。
なければ、見つかるまで探せ、とは言わない。
休む、休憩する。
また外に出たくなるまで待つ。
発見が無いことが発見かも。
それも気づきの一つかも。
それはそれで、真っ白、純粋な脳ミソなのでは?
伸びしろ100%?
ちなみに、ウォーキングの会でスマホでカシャカシャ写真を撮っていたら、、、
参加者の女性に、「どんな風(テイスト)に撮るんですか?
わたしは、わからなくて」と問われた。
ものすごく不思議な質問に、驚いた。
なぜなら、公式でもないプライベートな遊びの写真なんか、自分が好きなように撮ればよいのだから。
コンテストに応募するわけでもないし、写真展を開くわけでもないし、誰かに見せるわけでもない。
(ブログに使う写真もあるが)
自分のために撮る。自分が楽しいように。
なので、どういう風に撮るのかなんて、思いもしない奇問だった。
そう言えば、幼稚園の時、クラスメイトの園児がいつも、わたしの絵の真似をしていた。
これまた、いつもわたしと同じ絵を描くのが不思議だったが、彼女は後にピアノ方面に進んだ。
ゼロから、無から、思いつかないのだろう。
まあ色々な人がいる。
また、ある人に、品質に対する感想を述べると、なぜそんな感想が湧き出て来るのか、不思議がられた。
経験がないため、思いもよらないようだ。
無意識に接していることに対しては、何の感想もないと思われるStudy in Hong Kong。
考えたことも意識したこともない世界。
各人それぞれの歩みが違うと、視点が違う。
視点が違う人同士が出会った場合、何の接点もなく素通りするか、あるいは、考えたこともない感性に触れて驚くか。
未知のものを興味深く捉えるか、はたまた、今更、どうでもよく、接したくもなく避けるか。
色々なケースがあり、その後の展開が変わる。
Posted by whiteso at
16:16
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2024/06/13
り差が縮まり身近に
高齢の人は、自分より若い人と交流を持つと、それはそれで刺激になる。
ただし、程よい歳の開きが望ましい。
あまり離れ過ぎると相手の気持ちや感覚が理解できない。
少し前は自分はそうだった、とか、少し経つとこうなるのか、とか、参考になったり、自覚する助けになる。
さらに、高齢の人は、その人が若い頃、お近づきになりたくてもなれないほど、格段に差があっても、老化によって少し能力が低下して、以前より差が縮まり身近に感じる。
ではあるものの、プライドばかり高い、能力の低下を認めない高齢の人は、老害予備軍になる恐れがある飯盒供應商。
そこそこ素直な、能力が低下しても、わたしよりまだまだ、うんと上だったりするため、プライドは保たれる。
しかも、惜しみなく知識や見解を示してくれる。
ただ、考えが偏っていたり、間違いを平気で押し通したりする人は、やはり老害予備軍となる。
しかしながら、正しくバランス良く老化するのは、実に難しい。
客観的に判断する力が衰えると思われる。
誰しも自分を正当化したい。
(自分とは歳の開きがある)お年寄りの人とは、脳内で自由に交流する月曆設計。
そのほうが、お互いにウィンウィン。
一緒に行動するにはやはり壁がある。
体力の個人差がある。
自分の心身が無理のないように動きたいため、人に合わせるのは苦痛になる。
それに、人によって苦手な行動がマチマチ。
トイレ不安のある人や、長く歩くのが辛い人、色々。
なので、脳内で交流すると自由。
一緒に実際に同じ空間、時間で行動しなければ、感動を共有できないわけではない搬屋公司推介。
だが、体を動かさず、家から一歩も出ず、脳内だけで活動すると、リアルな瞬間的なライブ反応が得られない。
ネットの向こうで生動画で繋がるのもありだが、やはり、実物の息遣いは直接感じられず、脳内の感覚に近くなる。
コロナ真っ最中はそれしかないが。
在宅勤務ならそれでよいが。
ただし、程よい歳の開きが望ましい。
あまり離れ過ぎると相手の気持ちや感覚が理解できない。
少し前は自分はそうだった、とか、少し経つとこうなるのか、とか、参考になったり、自覚する助けになる。
さらに、高齢の人は、その人が若い頃、お近づきになりたくてもなれないほど、格段に差があっても、老化によって少し能力が低下して、以前より差が縮まり身近に感じる。
ではあるものの、プライドばかり高い、能力の低下を認めない高齢の人は、老害予備軍になる恐れがある飯盒供應商。
そこそこ素直な、能力が低下しても、わたしよりまだまだ、うんと上だったりするため、プライドは保たれる。
しかも、惜しみなく知識や見解を示してくれる。
ただ、考えが偏っていたり、間違いを平気で押し通したりする人は、やはり老害予備軍となる。
しかしながら、正しくバランス良く老化するのは、実に難しい。
客観的に判断する力が衰えると思われる。
誰しも自分を正当化したい。
(自分とは歳の開きがある)お年寄りの人とは、脳内で自由に交流する月曆設計。
そのほうが、お互いにウィンウィン。
一緒に行動するにはやはり壁がある。
体力の個人差がある。
自分の心身が無理のないように動きたいため、人に合わせるのは苦痛になる。
それに、人によって苦手な行動がマチマチ。
トイレ不安のある人や、長く歩くのが辛い人、色々。
なので、脳内で交流すると自由。
一緒に実際に同じ空間、時間で行動しなければ、感動を共有できないわけではない搬屋公司推介。
だが、体を動かさず、家から一歩も出ず、脳内だけで活動すると、リアルな瞬間的なライブ反応が得られない。
ネットの向こうで生動画で繋がるのもありだが、やはり、実物の息遣いは直接感じられず、脳内の感覚に近くなる。
コロナ真っ最中はそれしかないが。
在宅勤務ならそれでよいが。
Posted by whiteso at
16:46
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