2024/04/18
がに首元が暑苦しくな
さて。
昨日は寒さがぶり返し、しかも雨。
着る服をまた真冬モードに。
バス停までの道のり、もこもこの服にもかかわらず、毛糸のマフラーまでしていたので、さすがに首元が暑苦しくなった。
で、マフラーを首から外して、手に持つ。→①
傘は、折り畳み傘で、家を出る時には傘ケースに入れたままだったが、雨の中、歩きながら傘ケースから出して傘をさした。
手には傘ケース前列腺組織活檢。→②
バス停に曲がる道の手前で電話がかかってきた。
「今、いいですか?」
業者からだったが、困ったな、あと少しでバス停なのに、、、と思いながら、バス停に着くまでには終わるだろうと、もごもごマスク越しに話した。→③
バス停に着いてもまだ話は終わらなかった。
が、バスが来るまでにほんの少しだけ時間があり、傘を折り畳んで仕舞おうとした。
ん?
傘ケースがない。
リュックの中をゴソゴソ。ゴソゴソゴソゴソ即棄餐具。
悪い予感。無い。
①マフラー②傘ケース③携帯電話
わたしは、一度に複数のことが出来ない。
これは何度も経験済み。
同時進行キャパが、1つか2つ。
3つになるとアウト。
一度に10人もの人の話を聞くと言われる聖徳太子にはなれない。(だれもか)
仕事では皆さんはいくつもの案件を抱えて同時進行するのだが。
(ちなみに長女は家でも一度にかなりの複数タスクを同時進行する)
なにしろ、手は2本しかない。
なので、3つは持てない。
脇腹に挟むという方法もあるが、知らないうちに落ちている。
注意が3つ目のことに集中され、1つは脱落する。
脱落したことにその場で気づかない。
で、バス停でリュックを開けて、傘ケースがないことを確認して、最初は落とした?という疑惑だったが、落胆は確定となった。
とりあえず、リュックに常備しているビニール袋にビチャビチャの折り畳み傘を入れて、それをリュックに詰め込んだ。
(前日、落とした定期入れとは違い、たかだか折り畳み傘ケースだが、LOFTで買った、吸水機能付きの、長めのお気に入りのもの)
バスがもうすぐ来るため、引戻って傘ケースを探す時間がない。
電話がかかってきた地点に落ちていると推測するのだが。
で、休日で家に居る夫に携帯に電話するが、繋がらず。
固定電話も当然出ないのでメッセージを入れる甲狀腺抽針。
LINEも当然、既読にならない。
仕方ないので、近所に住む長女にLINEする。
雨が上がったら図書館に一家で出かけるという長女からは、「見とくわ〜」と返信。
しばらくして夫から、「拾いました」とLINEがあった。
落ちていた場所はやはり、業者から電話がかかってきた地点。
わたしの行動は、とてもわかりやすくパターン化されている。
一度に同時行動する時は3つ目以上になる段階で、必ず、1つ目2つ目のいずれかが抜け落ちることを自覚するべし。
対策は、、、3つ以上は手を出さない。
もし、やむを得ずそうなった時は、1つ脱落することを覚悟する。諦める。
あるいは、SOSを出す、サポートを求める。
自分の欠けていることは、なんらかで補足する。継ぎ足す。
欠けているのだから仕方ない。
若い頃ならトレーニングして対応出来るように努力し、自分のキャパシティを大きくし高めるのだが、今は、現状を把握して対策に走る。
アタマも能力も、歳とったなあ、、、わたし。ぐすん。
昨日は寒さがぶり返し、しかも雨。
着る服をまた真冬モードに。
バス停までの道のり、もこもこの服にもかかわらず、毛糸のマフラーまでしていたので、さすがに首元が暑苦しくなった。
で、マフラーを首から外して、手に持つ。→①
傘は、折り畳み傘で、家を出る時には傘ケースに入れたままだったが、雨の中、歩きながら傘ケースから出して傘をさした。
手には傘ケース前列腺組織活檢。→②
バス停に曲がる道の手前で電話がかかってきた。
「今、いいですか?」
業者からだったが、困ったな、あと少しでバス停なのに、、、と思いながら、バス停に着くまでには終わるだろうと、もごもごマスク越しに話した。→③
バス停に着いてもまだ話は終わらなかった。
が、バスが来るまでにほんの少しだけ時間があり、傘を折り畳んで仕舞おうとした。
ん?
傘ケースがない。
リュックの中をゴソゴソ。ゴソゴソゴソゴソ即棄餐具。
悪い予感。無い。
①マフラー②傘ケース③携帯電話
わたしは、一度に複数のことが出来ない。
これは何度も経験済み。
同時進行キャパが、1つか2つ。
3つになるとアウト。
一度に10人もの人の話を聞くと言われる聖徳太子にはなれない。(だれもか)
仕事では皆さんはいくつもの案件を抱えて同時進行するのだが。
(ちなみに長女は家でも一度にかなりの複数タスクを同時進行する)
なにしろ、手は2本しかない。
なので、3つは持てない。
脇腹に挟むという方法もあるが、知らないうちに落ちている。
注意が3つ目のことに集中され、1つは脱落する。
脱落したことにその場で気づかない。
で、バス停でリュックを開けて、傘ケースがないことを確認して、最初は落とした?という疑惑だったが、落胆は確定となった。
とりあえず、リュックに常備しているビニール袋にビチャビチャの折り畳み傘を入れて、それをリュックに詰め込んだ。
(前日、落とした定期入れとは違い、たかだか折り畳み傘ケースだが、LOFTで買った、吸水機能付きの、長めのお気に入りのもの)
バスがもうすぐ来るため、引戻って傘ケースを探す時間がない。
電話がかかってきた地点に落ちていると推測するのだが。
で、休日で家に居る夫に携帯に電話するが、繋がらず。
固定電話も当然出ないのでメッセージを入れる甲狀腺抽針。
LINEも当然、既読にならない。
仕方ないので、近所に住む長女にLINEする。
雨が上がったら図書館に一家で出かけるという長女からは、「見とくわ〜」と返信。
しばらくして夫から、「拾いました」とLINEがあった。
落ちていた場所はやはり、業者から電話がかかってきた地点。
わたしの行動は、とてもわかりやすくパターン化されている。
一度に同時行動する時は3つ目以上になる段階で、必ず、1つ目2つ目のいずれかが抜け落ちることを自覚するべし。
対策は、、、3つ以上は手を出さない。
もし、やむを得ずそうなった時は、1つ脱落することを覚悟する。諦める。
あるいは、SOSを出す、サポートを求める。
自分の欠けていることは、なんらかで補足する。継ぎ足す。
欠けているのだから仕方ない。
若い頃ならトレーニングして対応出来るように努力し、自分のキャパシティを大きくし高めるのだが、今は、現状を把握して対策に走る。
アタマも能力も、歳とったなあ、、、わたし。ぐすん。
Posted by whiteso at
18:49
│Comments(0)
2024/04/11
のを発見したようなかん
と、話は相変わらず脱線している。
さして信仰心もないわたしが、姑に35年前に寄贈された神棚を、ちょっと埃を払ってもう一度、見てみようか、という話。(延々と続いている、、、)
しかし、神棚のお社の中には、どこの、どんな神様が入っているのだろう?
知らないで、ずっと神棚が我が家にあるところが、なんとも言えない血尿檢查。
わたしをはじめ、夫や子供たちも絶対に知らない。
(夫の実家ではない)我が家に神棚があることすら、知らないだろう。
聞こうにも姑はあの世だし、今度、こっそり、お社の中を開けてみよう。
せっかく今までおとなしくしているカミサマが気を悪くして、バチが当たるか??
そもそも、神棚は長くても20年に1回は、新しくするのが良いそうだ。
古い神棚は、神様の力が弱っているとか。
ということは、あまりご利益は、なさげ。
話は変わるが、
今ふと思うのに、精神的に、やっと夫の実家から親離れ出来た兆しではないかと。
雛に餌を運んだ親鳥は、巣から出て行ったが、残った雛は、親鳥が残していった餌が巣の奥に、フリーズドライになって、まだあったのを発見したようなかんじか。
踏襲するのもよし、手を加えるのもよし、改良するのもよし、捨てて一新するのもよし產後 紮肚、
なんでもよし。
たたき台があると、それを見本にして、考えを修正したり、見直したり、改善したり磨いたりしやすい。
あるいは、取り止め、廃止することもある。
たまたまこの度、人工榊を購入したのは、生協カタログに載っていて目についたから。
何げない、ふとした思い、行動である。
ではあるものの、核家族として、親から離れて35年も経ち暮らしていると、親離れし、自立、独立した新しい自分を水面下で、かたち作っていたのだろう。
もう高齢者なのに、今頃自立って、かなり時間がかかっている。
それは、ある程度、目に見えない力でマインドコントロールされていたからではないかと想像する。
昔からの価値観を、自分で考える余裕も時間もなく、押し付けられている。
その長年の圧力、押し付けからの脱却ではないかと推測する。
それにしても、長い。
20や30歳ぐらいで親離れするはずなのだが、なんと2倍、3倍の時間がかかっている。
それだけ従来の価値観は重く強いものだったのだろう。
35年前から我が家に鎮座していたものの、祀られてはいなかった神棚。
そこに、人工榊が偶然仲間入りし、35年前の神棚から、ピヨピヨひよっ子神棚魂が誕生した毛孔粗大原因。
まだひよっ子のため、成長しないで立ち消えるかも知れない。
人工榊は、人工なので枯れることはないが、埃をかぶることは大いにあり得る。
すわ、ひよっ子魂、誕生お祝いか、と威勢づいても、また元通りの、埃をかぶっただけの神棚になるかも知れない。
明日のことは想像できても、1年後、10年後はわからない。
さして信仰心もないわたしが、姑に35年前に寄贈された神棚を、ちょっと埃を払ってもう一度、見てみようか、という話。(延々と続いている、、、)
しかし、神棚のお社の中には、どこの、どんな神様が入っているのだろう?
知らないで、ずっと神棚が我が家にあるところが、なんとも言えない血尿檢查。
わたしをはじめ、夫や子供たちも絶対に知らない。
(夫の実家ではない)我が家に神棚があることすら、知らないだろう。
聞こうにも姑はあの世だし、今度、こっそり、お社の中を開けてみよう。
せっかく今までおとなしくしているカミサマが気を悪くして、バチが当たるか??
そもそも、神棚は長くても20年に1回は、新しくするのが良いそうだ。
古い神棚は、神様の力が弱っているとか。
ということは、あまりご利益は、なさげ。
話は変わるが、
今ふと思うのに、精神的に、やっと夫の実家から親離れ出来た兆しではないかと。
雛に餌を運んだ親鳥は、巣から出て行ったが、残った雛は、親鳥が残していった餌が巣の奥に、フリーズドライになって、まだあったのを発見したようなかんじか。
踏襲するのもよし、手を加えるのもよし、改良するのもよし、捨てて一新するのもよし產後 紮肚、
なんでもよし。
たたき台があると、それを見本にして、考えを修正したり、見直したり、改善したり磨いたりしやすい。
あるいは、取り止め、廃止することもある。
たまたまこの度、人工榊を購入したのは、生協カタログに載っていて目についたから。
何げない、ふとした思い、行動である。
ではあるものの、核家族として、親から離れて35年も経ち暮らしていると、親離れし、自立、独立した新しい自分を水面下で、かたち作っていたのだろう。
もう高齢者なのに、今頃自立って、かなり時間がかかっている。
それは、ある程度、目に見えない力でマインドコントロールされていたからではないかと想像する。
昔からの価値観を、自分で考える余裕も時間もなく、押し付けられている。
その長年の圧力、押し付けからの脱却ではないかと推測する。
それにしても、長い。
20や30歳ぐらいで親離れするはずなのだが、なんと2倍、3倍の時間がかかっている。
それだけ従来の価値観は重く強いものだったのだろう。
35年前から我が家に鎮座していたものの、祀られてはいなかった神棚。
そこに、人工榊が偶然仲間入りし、35年前の神棚から、ピヨピヨひよっ子神棚魂が誕生した毛孔粗大原因。
まだひよっ子のため、成長しないで立ち消えるかも知れない。
人工榊は、人工なので枯れることはないが、埃をかぶることは大いにあり得る。
すわ、ひよっ子魂、誕生お祝いか、と威勢づいても、また元通りの、埃をかぶっただけの神棚になるかも知れない。
明日のことは想像できても、1年後、10年後はわからない。
Posted by whiteso at
16:10
│Comments(0)
2024/04/02
ライラすることだろ
次の行動に移る用意をするまで、あと1時間。
さて。
さあ、遊ぼう!!
わたしのブログタイム。
うきうき、にこにこ。
しかし、ブログ村さん、またまたわたしコーナーの記事とリンクしない服務式住宅。
直近3つあるうち、2つはリンクした。
なんで、最後の1つだけ放置?
もう知らん。
またそのうち、忘れた頃に、ブログ村さんの気分次第の時間にリンクされることだろう、、、。
ブログとはまた離れたリアルなところで、朝から、センチメンタル気分。
涙。
またか。
行ったり来たり。
そうやって大人になる?
いや、もう大人なわけで。というか高齢者枠孕婦按摩。
そうやって老化に向かう?
天然、自然の目薬で目を洗い、潤す。
目薬要らずで、ありがたい?
なかなかエコです、はい。
ではあるが、気持ちを整理するのは、どうすればよい?
自分に言い聞かせる? 言いくるめる?
理詰めで納得させる?
理性と感情を闘わせ、理性を応援する?
フレー!フレー!理性!!
とは言うものの、頑張っても改善しない。
自然にまかせると、一向に良い方向に向かわない。
病気や怪我も治らない。
むしろ膿んでくる。
しかし、外科的治療をする勇気がない。
受け身、なすがまま、自然派のわたし。
ハッキリした行動を選び取り、能動的に選択する人が見ると、イライラすることだろう。
時間に任せても、化膿している場合、抗生物質のお世話にならなければ、いたずらに苦しい時間を過ごすだけ。
わたしにも、気持ちの波がある。
躁状態と鬱状態が交互に繰り返される。
これも人間の自然なメカニズムの一つかも知れない。
別に方針として考え取り入れたわけではないが、そういう時は、薬の力を借りることなく、天然の涙で洗い流す。
悲しみやイライラ、嫌な感情、負の思いは誰にでもある。
皆さん、どうやって対応しているのだろう。
決して克服しているわけではないと思う。
自分に正面から向き合って受け入れるか、あるいは、ぷいと横を向いて知らん顔する。
あまり生真面目に受け入れようと頑張らなくてもいい。
自分に無理を強いるのはよくない。
しんどい。
何ごとも自然の流れに身を任せる。
濁った水も、静かに放置すると、やがて固体は沈澱する。
だが、溶けてしまった液体の場合、待てど暮らせど、濁りは元のように戻らない前列腺肥大。
どうする?
どうしようもない。
そう。どうしようもないのだ。
さて。
さあ、遊ぼう!!
わたしのブログタイム。
うきうき、にこにこ。
しかし、ブログ村さん、またまたわたしコーナーの記事とリンクしない服務式住宅。
直近3つあるうち、2つはリンクした。
なんで、最後の1つだけ放置?
もう知らん。
またそのうち、忘れた頃に、ブログ村さんの気分次第の時間にリンクされることだろう、、、。
ブログとはまた離れたリアルなところで、朝から、センチメンタル気分。
涙。
またか。
行ったり来たり。
そうやって大人になる?
いや、もう大人なわけで。というか高齢者枠孕婦按摩。
そうやって老化に向かう?
天然、自然の目薬で目を洗い、潤す。
目薬要らずで、ありがたい?
なかなかエコです、はい。
ではあるが、気持ちを整理するのは、どうすればよい?
自分に言い聞かせる? 言いくるめる?
理詰めで納得させる?
理性と感情を闘わせ、理性を応援する?
フレー!フレー!理性!!
とは言うものの、頑張っても改善しない。
自然にまかせると、一向に良い方向に向かわない。
病気や怪我も治らない。
むしろ膿んでくる。
しかし、外科的治療をする勇気がない。
受け身、なすがまま、自然派のわたし。
ハッキリした行動を選び取り、能動的に選択する人が見ると、イライラすることだろう。
時間に任せても、化膿している場合、抗生物質のお世話にならなければ、いたずらに苦しい時間を過ごすだけ。
わたしにも、気持ちの波がある。
躁状態と鬱状態が交互に繰り返される。
これも人間の自然なメカニズムの一つかも知れない。
別に方針として考え取り入れたわけではないが、そういう時は、薬の力を借りることなく、天然の涙で洗い流す。
悲しみやイライラ、嫌な感情、負の思いは誰にでもある。
皆さん、どうやって対応しているのだろう。
決して克服しているわけではないと思う。
自分に正面から向き合って受け入れるか、あるいは、ぷいと横を向いて知らん顔する。
あまり生真面目に受け入れようと頑張らなくてもいい。
自分に無理を強いるのはよくない。
しんどい。
何ごとも自然の流れに身を任せる。
濁った水も、静かに放置すると、やがて固体は沈澱する。
だが、溶けてしまった液体の場合、待てど暮らせど、濁りは元のように戻らない前列腺肥大。
どうする?
どうしようもない。
そう。どうしようもないのだ。
Posted by whiteso at
16:36
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