2024/09/20

付けられた価値観が根っこ

わたしとほぼほぼ同年代(年齢誤差1歳ぐらい)の女性たちのSNS日記を読んだ。
わたしとはほとんど同じ歳なのに、なんとわたしの意識の遅れていることか去眼袋
強く強く感じた。時代遅れ。
彼女たち(わたし)は、「虎に翼」時代が親世代、その一世代後から活動している、、、。
先人たち女性の不遇時代の後に、我々の時代がある。
バリバリに男性と肩を並べて社会で働く、わたしと同世代の彼女たちは、夫婦別姓が認められないのは日本ぐらいだと嘆いておられる。
バリバリにも色々ある。
わたしが想像するところの、本当のバリバリである。

優秀な男性と同じレベル、あるいはそれより優秀な彼女たち。
彼女たちの大半はリタイアされているが、リタイア後の生活がまた凄い。
バリバリ現役の活動があってこそのもの。

わたしと同じであるところは、年齢だけ。
まったく、年齢だけ。
ため息が出るが、年は同じでも、そりゃあ個性が違うのは当たり前、、、にしても大腸鏡收費
わたしがこれまで書いてきた蝶ブログがとても恥ずかしくなった。
自分を否定するわけではないが、個性の違いだと片付けられない思いが湧き起こった。
それまで堂々と誇らしげに出していたものを静々と引き下げるような、、、。

だが、そんなことを言うと、わたしの次女がわたしに先日、放った言葉を思い出す。
「社会にはいろんな集団・層がある」

人々には様々な色々な活躍があるが、どうしても、わたしが義務教育中に学校で植え付けられた価値観が根っこのところから消えない。
偏差値教育の弊害を引きずっている。
それを乗り越えられない自分は、未熟なまま老いていくのだろう。
柔軟なものの見方から程遠い、凝り固まり。

優秀な男性たちは尊敬する。
それ以上に優秀な女性たちもいて、しかも、同世代!
まったく別の集団であるものの、子供の時から一緒に成長していく過程で、能力に応じてコースが分かれて行った。

これがアスリートだったら、また同じような思いを抱くのだろう1688
わたしは、全くアスリートではなかったし、アスリートコースの人たちは周りにいなかったので、何も複雑な思いは感じず、ただただ純粋に、自分とは切り離された人として応援する。
Posted by whiteso at 11:39│Comments(0)
Vui lòng nhập chính xác dòng chữ ghi trong ảnh
 
<Chú ý>
Nội dung đã được công khai, chỉ có chủ blog mới có thể xóa